こんにちは。株式会社FEZの井本 悠樹(いもと ゆうき)です。
P&Gジャパン株式会社(9年間)〜ジョンソン・エンド・ジョンソン株式会社(1年間)でトレードのマーケティングマネージャーを経て、2019年4月1日からフェズで働いています。
現在は主にデジタル広告の営業をしながら、同時に、将来フェズの大きな武器となる「小売業〜メーカーの課題解決」のためのプロダクト開発に携わっています。
1年前の私が、1年後の自分を描いた時に、まさかスタートアップで働いているなんて想像すらしていませんでした。むしろ当時は、大企業で活躍することで自尊心を高めることができていたため、「自分、大企業あってるな〜」とひたすらに感じていたのを覚えています。
そんな私ですが、現在は「フェズに入社して本当に良かった」と日々大きな満足感をもちながら、非常に楽しく働いています。いや、「もっと早く入っていたら良かったな」が本音かもしれません。
ここからは、なぜ私がスタートアップに転職を決めたのか、過去を振り返りながらお話したいと思います。これを読まれている皆さんの中には、将来のキャリアについて考えている方もいらっしゃると思います。そんな方の一助になれば幸いです。
大学時代
今私がフェズにいる一番初めのきっかけは、大学時代に遡ります。それは、小学校から高校まで、通知表に必ず書かれていた「負けず嫌い」と「好奇心旺盛」に加え、素晴らしい仲間に出会えたことで作られました。
私の学部では毎年入学前に、親睦を目的とした1泊2日のキャンプがあり、交流イベントや、学部の魅力を感じてもらうための「学部OB基調講演」などが催されます。そこで衝撃的な出来事が。
お互い仲良くなる前のソワソワしている学部生300名と著名OBからのありがたいお話。ただでさえかなり緊張感のあるシチュエーションの中、隣に座っていた学生が話を割って「質問が2つあります」とまっすぐに挙手。当時の私には「緊張感の漂う300名の人前で、偉い人の話を遮って2個も質問をする!」なんて全く考えられなかったため、非常に強い驚きとともに、「とんでもない奴がいる」という強烈な印象を受けたのを覚えています。のちに分かったのは、長い海外留学を経て彼としてはそういったことが当たり前だっただけ、とのこと。いやいや。。笑
その後偶然彼と同じクラスになり、話をしているうちに仲良くなり、好奇心から、彼らの「意識高い系」グループに仲間入り。各々が語るのは「世界平和を実現したい」「北海道の酪農を変えたい」などでっかい夢とそれを実現するための中長期アクションプラン。笑
当初は圧倒されていたものの、その時の「すごい!でも負けたくない!」気持ちによって、漠然と「将来自分でビジネスをするんだ」「国際的に活躍するんだ」という2つの思いが膨らみました。
ビジョンを語り合うのが当たり前の環境だったからこそ、私も朧げながら自然とビジョンを描けるように。今思えば、これがフェズを選んだ大きなきっかけになっています。
グローバル人材を夢見ながら学部紹介をしている筆者。若い・・・。w
P&G時代
大学入学前は「将来銀行で働くだろう」と信じていたのに、仲間に影響され描いたビジョンによりP&Gの営業として入社。当時の営業職は「海外転勤できるのは、本社勤務を経験したごく一部の人材」「そもそも本社勤務自体も狭き門」という環境でした。しかしグローバル人材になりたかった私は、入社直後にも関わらず「本社勤務」を希望。冷静に考えると本当に無謀でしたが、当時の上司は本気で悩んで、最短で本社勤務を実現するために必要なスキルを明示し、それに沿ったアサインメントを与えてくれました。
未だにP&Gがすごいと思うのは、「人材」なんです。
P&Gでの9年間「なんでこんな人が上司なんだ」と思ったことはなく、常に周りには様々な「ロールモデル」が溢れていました。「本社勤務希望」を声高に宣言しても所詮はひよっこ社員、すぐにうまくいく訳はありません。しかし「できない」と思うことでも、それを当たり前にできているロールモデルが常にいたからこそ、まずは躊躇せず彼らの真似をしながらやり方を覚え、営業力を培っていくことができました。
もがきながら4年間前進した結果、5年目に「本社勤務」として主要ブランドのトレードマーケティングのオファーを獲得。
しかし、本社勤務は想像を絶する忙しさと営業現場とはまるで違う労働環境でした。特に業務全般が「英語環境」であったことと、戦略的なロジカル人間ばかりだったのが非常にしんどかった。就任直後は、狭き門をくぐった喜びよりもむしろ、率直に「これから生きていけるのだろうか」という強い不安を抱いていたのを今でも覚えています。
当初は全く結果を残すことができませんでしたが、半年間もがき苦しみながら、輝かしい先輩達を模倣し踏ん張り続けた結果、英語や戦略的・論理的思考も強化され、徐々に成果を出せるようになりました。
P&G時代、イギリス人上司とロジカルなファイナンスマネージャーとストレス発散
間違いなく非常に充実していたP&Gライフでしたが、トレードマーケティング5年目のタイミングで起こった3つの大きな出来事によって、今後のキャリアを再考することになります。
一つ目は、キャリアトレーニングでトレーナーの先輩社員にいただいた言葉です。
ある時、トレーナーから「短期・中期キャリアは何をしたいか(会社や役職、職種)ではなく、何のスキルセット(能力)を得たいかで選ぶべき。それが自分のキャリアビジョンを実現するための最短ルート」と言われました。
このキャリア観は、「各々のキャリアビジョンから逆算して必要なスキルを明確にし、それを得られる仕事を見つける」ことを奨励しており、その仕事が必ずしも現在勤めている会社にあるとは限らないということを示唆しています。
この時、これまで無意識に設けていた制約(=「社内」でのキャリア思考)が外れ、一気に自分自身のキャリアに対する視野が広がったのを覚えています。
実際に、多くの方は会社でキャリアを考える時、ごく自然に「社内での」キャリアパスを考え、ディスカッションをしてしまっているのではないでしょうか。
続いて二つ目。
ある日YouTubeを見ているとDrop Box創業者がMIT卒業生に向けて行ったスピーチを見つけました(https://www.youtube.com/watch?v=YWbNlMFzK40)。
18分におよぶ内容だったにも関わらず夢中になって視聴し、終わった後ドッと色んな感情が溢れ全く寝付けなったほど、私にとって衝撃的でした。
ネタバレになるので詳細は控えますが(是非見て欲しい!)、見終わった後「自分は仲間(環境)に生かされていたんだ」ということを強烈に痛感しました。P&Gで非常に充実したキャリアを歩んできたけれど、結局はロールモデルがいたからこそ「難しいことも『当たり前』として躊躇せずに行動できた」し、その結果認められる仕事ができるようになったんだと。
確かに振り返ってみると、大学時代の友人が300人の前で質問できたのは、彼がいた環境ではそれが当たり前だったから。また、私が「自分でビジネスをする」「国際的に活躍する」というビジョンを持てたのも、ビジョンを「当たり前に語り合う『意識高い系』の仲間」がいたから。
もし彼らと出会っていなければ、そんなビジョンすら持てていなかったかもしれません。
よくリクルート出身者に起業家が多いと聞きますが、それはおそらく、もともと独立志向のメンバーが集まっているからではないと思います。独立する社員がありふれている環境があるからこそ、「起業」が当たり前に感じ、キャリアチェンジのリスクを(過大評価せず)正しく評価でき、そして当たり前に「起業」が視野に入ってくるのではないでしょうか。
三つ目の出来事は、キャリアでの挫折です。
トレードマーケティング終盤に、私のキャリアビジョンの一つである「国際的に活躍する」に近づく非常に魅力的なアサインメントのオファーをいただきました。かなり大きな挑戦でプレッシャーもありましたが、会社から認められたことも嬉しく、非常にワクワクしていました。しかしその数ヶ月後、アメリカ本社の販管費戦略が影響し、内定が急遽キャンセルに。非常に大きなショックを受けましたが、改めて「将来自分はどうなりたいのか」を再考するきっかけになりました。
これら三つの出来事が立て続けに起こってからは、下記の点を強く認識することとなりました。
- 短期・中期キャリアは「何を得たいか」で選ぶことが、ビジョン実現への近道。
- 環境は必ずしも与えられるものではなく、自ら選択できる。そして身を置く環境によって、当たり前の内容が大きく異なり、それにより成長の幅・内容、得られるもの、またそれを得るまでの時間も大きく変わる。
- これまであまり意識できていなかったが、自分の中ではやっぱり「自分でビジネスをしたい」という思いが非常に強かった。
つまり「将来のキャリア」は、自らの努力だけではどうしようもなく、「身を置く環境」によっていとも簡単に変わってしまうということに気づいたのです。
「将来自分のビジネスをする」ことを考慮すると、現在の環境だと得られない、もしくは得るまでに非常に時間がかかる(5−10年)スキルセットも多いことから、「必要なスキルセットを得られる環境に、いち早く身を置かなければ」という強い思いを抱くようになり、転職を決めました。
社長・伊丹順平との再会
P&Gを辞め、その後ジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)に入社しました。
J&Jでは主に「組織マネジメント・強化」「ビジネスプロセス構築」のスキルセット体得を期待して入社しましたが、新しい環境で働くこと自体が、さらなる学びを提供してくれたのは嬉しい誤算でした。例えば前職では机上で学んだだけの「価値観・文化の違う人にどうやって理解してもらうか(ダイバーシティ・インクルージョン)」を、J&Jに来て初めて実践・体得することができました。
将来の成功を夢見て@J&J 1Fロビー
転職後に元P&Gの方との交流が増えたのも、転職して良かったことの一つです。
ある日親しい先輩と一緒に飲んでいたところ、急に「今から伊丹がくるから」と言われました。実はフェズ社長の伊丹さんとはP&G営業の同期なんですが、この突然の再会は非常に複雑な気持ちでした。
今だから言えるのですが、P&G後期「伊丹には絶対会いたくないなー」と思っていたんです。
P&Gを辞めGoogleに転職しその後起業したと聞いていて、自分が実現したいことを既に叶えている彼に対し「すごく悔しい」という気持ちがあったからです。負けず嫌いがたたって「今会ってしまうと、自分が負けたことを認めることになる」と、会うことを避けていました。
しかし実際に会ってみて驚きました、「伊丹オトナになったな」と。笑
偉そうに言うわけではないのですが、私の知っている伊丹さんからすると、人間的にすごく大きくなっていて、自分と彼を比較すること自体が虚しく感じるくらい、むしろ彼が私のことを認めている。非常に社長然としていて、自分自身が本当に恥ずかしかったです。
ちなみに今ではそんな彼を非常に尊敬しています。
これをきっかけに伊丹さんと二人で飲みに行くようになり、ある日「フェズに来ないか」とオファーをもらいました。その瞬間は(家も車も買ったばかりだし、J&Jも充実してるし、行かないかなー)と心の中で思っていたものの、その後約半年間、話を重ねていく中で徐々に心の変化が。
それは「キャリアビジョンを実現するには最高の環境なんじゃないか」という思いです。
独立する上で一番得たいスキルセットであった「0から1を作る能力」を得られる環境、「資本政策・組織構築・新規事業開拓」など、会社の基盤作りが当たり前に見れる・さわれる環境、さらに有名企業で役員やマネージャーを務めてきた人から、当たり前に経営を見せてもらえる環境もフェズにはありました。この、一般的に「すごい事、難しそうな事を『当たり前に感じられる』」環境は、上述の通り間違いなく私に必要なスキルセットを体得する近道になるだろう、そう思ってからは、フェズへ入る決断は必然でした。
フェズ人としての、これからの自分
フェズに入社してから早7ヶ月、今までの人生では味わえない「すごい」を「当たり前」に感じられる環境で、非常に充実しています。それは全て、様々なバックグラウンドを持ったフェズ人によって作られる環境で、そこに社員・インターン生・業務委託などの垣根はありません。常に自分が知らない世界を見せてくれ、そして導いてくれる仲間・環境がある。私の場合は、将来必要なスキル獲得のためにそれらを求めていたけれど、色々な方の、様々な成長ニーズに対する答えとなる環境が間違いなく揃っています。
一般的に「すごい」と思える様々なことが、当たり前に行われ、当たり前に感じられるようになり、当たり前にできるようになる。【すごいと思える当たり前】が溢れているから、好奇心がそのまま学びに、そして行動になる。
フェズはそんな会社だと思います。
- 将来のゴールへは、短期・中期キャリアを「何をしたいか(会社・役職・職種)」ではなく、「何を得たいか(スキルセット)」で考えることで、より近づきやすくなる
- 環境は必ずしも与えられるものではなく、自ら選択できる。またその環境によって得られる(学べる)こと、深さ、費やす時間は大きく異なる
つまり将来の結果は、自らの努力だけではなく、その「自由に選択した環境」によっても、いとも簡単に変わってしまう。
これからは、勇気を持ってフェズという環境を自ら選択した方に、私を通じて【すごいと思える当たり前】を感じてもらい、将来のゴールに少しでも早く近づいてもらうことが、フェズ人としての井本の責任だと思っています。ビジネスに限らず、成長しながら他者も成長させられる、そんな最高の人財が育つ環境づくりにもコミットしていきたいと思っています。