昨日(2024年10月1日)付けで、フェズの代表取締役社長が創業者である伊丹から取締役COOとして事業を牽引してきた赤尾に交代。伊丹は海外事業の立ち上げを主管する取締役となり、役員・組織体制が変わりました。(プレスリリースはこちら)
「FEZ LOG」では、2回にわたり新旧代表インタビューをお届け。後編は、新代表となった赤尾のインタビューです。(前編はこちら)
リクルート出身の社員に入社理由を聞くと、口をそろえて「赤尾さんがいるから」と言う。伊丹は「まるでメンターのよう」と評し、古株社員には「おやじ」と呼ばれる。そんな赤尾の素顔に迫ります。
“どん底”経験のおかげで変われた。ビジネスキャリアで大切だったこと
これまでのキャリアについて聞かせてください。
1992年3月に大学を卒業して、リクルートに入りました。当時のリクルートはベンチャー企業でしたね。求人や不動産などの情報(広告)を集めた雑誌を書店やコンビニの店頭で消費者に購入してもらうマッチングビジネスを行っていました。
入社して最初の3ヵ月間は、毎日書店で勤務。店内の本棚の整頓や受発注、レジなど、書店の従業員さんたちと同じ仕事をしました。そうやって人を送り込んで関係を築くことで、大きな販路(雑誌の販売ルート)を確保しているんだな、と知りました。
その後、土木・建築・ドライバーなどの求人情報を掲載する新規媒体「ガテン」の立ち上げに携わりました。社長の皆さんは朝早く現場に行き夜戻られるので、朝晩に工事現場などへ1日30件毎日飛び込み営業していました。新規で契約を頂く難しさと喜び、日々の営業を繰り返す中で、自分の弱さと向き合い続けたことは、その後のキャリアにおいて大きな財産になっています。他にも「とらばーゆ」や「B-ing」といった企業の求人情報媒体に携わりました。
若手の頃から新事業の立ち上げに携わってこられたんですね。
そうですね。求人媒体の後も、せっかくなら新しい事業に携わりたい、今でしか経験できないことをしたいと思い、当時大きな赤字を抱えていた「ホットペッパー」の前身となる事業部門に異動しました。
赤字事業を黒字化して全国に広げていくという、貴重なフェーズを経験することができましたね。「横浜版」「新潟版」といった各エリアの黒字化を経験し、何をどうやればいいか“型”ができてきた。
そんな中、全国制覇を目指して広島県の福山に展開しました。
福山は、地元の会社が先に市場をおさえていて、リクルートは後発で展開できていないエリアだったんです。でも、これまでもやれたし「たぶん、いけるだろう」と思っていたんですが・・・甘かった(苦笑)
本来ならば、マーケットがどういう状況で、競合先は何が強みで、どういう営業手法を取り、どんな価値を提供しているのかを調査し、後発としてどうすれば勝てるのか、事業戦略を立てなければならなかった。戦略がなければ、これまで成功した戦術では勝てない。勝てない時期が続くと、メンバーが疲弊してしまう。どん底の時期でしたね。
しかし、この経験があったから「結局、自分に力がなかったから負けたんだ」と言えるようになり、変なプライドがなくなりました。自分に足りないものが見えたおかげで、変わることができたんです。自分のビジネスキャリアを振り返って、本当に大切な2年間だったと思います。その期間を共に戦ってくれたメンバーに、勝つ経験や成功体験をさせてあげられなかった。この想いがリーダーとしてビジネスで勝つことへの拘りに繋がっています。
その後、関西エリアの部長や「Hot Pepper Beauty」の事業側のトップを経験しました。
時期的には、紙からWebへ、ビジネスモデルの転換期もご経験されたのでしょうか?
はい。紙からWebに切り替えると、広告掲載料が安くなるので収益性が落ちてしまう。従来の掲載課金型の広告モデルではなく成功報酬型のモデルが台頭するリスクもある中で、お客様の価値と自社の収益性を担保し、いかに事業を持続させていくか、ビジネスモデルを変えていく大変さも経験しました。
大手企業の立場として市場リーダーのポジションを経験したことは、既存の大手企業が創り上げてきたフィールドに対して、ベンチャーがどう向き合っていくのかを考える上でも有益だったと考えています。
リクルートの後は、トレンダーズへ移られたんですよね。
「ホットペッパー」という1つの事業の創業からカンパニー化、事業責任者までを経験し、新しいチャレンジをすべきタイミングがきました。当時42歳。後進に道を譲り、次の世代に自分の経験を伝え残していく必要があるなと。
自分の会社を作ってやろうとしていた時に、以前から親交のあったトレンダーズの岡本氏の紹介もあり、上場したばかりの同社に役員として入りました。上場企業の経営というものを経験したい、自分がどのくらいできるかやってみたいという気持ちがありましたね。
リテール業界の進化させるために、フェズ自身も進化する
フェズにジョインされたきっかけは?
デジタル広告事業に関わる中で、効果を測るために様々なKPI指標はあるものの、最終的に商品が購入されたかどうかまでは見られないんだな、という違和感を抱いていました。
そんな時に、元リクルートで当時グーグルにいた前田さん(フェズの創業メンバーの1人で現社長室長)から「伊丹さんがフェズを創業しようとしている。同じような考え方を持っているので会いませんか」と紹介してもらったんです。
目指す方向性が同じで、本質的なところに向かおうとしている会社だと感じましたね。初めは自分の会社もあったので顧問として携わり、2018年7月、正式にジョインしました。
当時のフェズはどのような様子でしたか?
顧問として携わり始めた頃は、リテールテックの事業構想はあったものの、まだカタチはありませんでした。大手メーカー様に営業をして、広告運用をするところから始めて、リテールデータを取りに行くためのアプローチをしました。
小売企業様向けの販促パッケージを作る提案をして、一緒にメーカー様に営業をしたりする中で、効果検証に必要となるデータをお預かりして分析をして。まだ人も少なかったので、オープン前の小売店舗で広告用の撮影をして動画制作をするなど、色々やりましたね。
フェズになぜデータを預けるのか、小売企業1社ではなく複数社横断でデータを預ける意図は何か。初めは「あり得ない!」と言われつつ、1つ扉を開けては押し返されての繰り返し。丁寧に説明し続け、信頼を得て、進めてきた感じです。
時間軸と共にテクノロジーは進化し、すぐにはできなくてもできる時期がくる。
こうした時期を乗り越えて、2019年にリテールデータプラットフォーム「Urumo(ウルモ)」を立ち上げました。
その後、組織をつくり役割分担を進めながら、資金調達や事業提携などを経て今に至っています。
フェズの良いところ・課題に思っているところは?
良いところは「人」ですね。基本的な人柄がいい。これは、会社として重要なことだと思っています。そして、この規模のベンチャーでありながら、事業や部門を牽引できる人財が多く層が厚い。年齢も幅広く、小売・メーカー・IT/テクノロジーなど事業に必要なバックグラウンドを持つ人財が揃っている。これは、強みだと思います。
一方で、色んな経験や思考を持つ人財が集まっているからこそ、色んな議論になりやすく物事が決まりにくいという側面があります。議論するときは議論、決めるときは決める、決まったことに対してはノーサイドで行動する、ここはまだ改善の余地があると感じています。
これから、フェズをどんな会社にしていきたいですか?
フェズは、リテールデータを価値に変える会社として、より高みを目指していく時期にきています。3年後、5年後、フェズが事業を拡大していくことで、リテール業界の効率化が進み、小売企業様・メーカー様など、関わる多くの皆さまがもっと本質的に活躍でき、新たなチャレンジができる社会を創っていけると考えています。
そのために、フェズ自身も次のフェーズに進化していく必要があります。
今回、創業社長さえも代表の椅子を譲る、常に責任と権限が適正に循環する会社だということを示せたと思います。ここから、さらに年齢や過去の実績に縛られず、人を育て、力のある人財を登用し、活躍できる仕組みを本気で創っていかなければなりません。
本当の意味でマーケットを変革する役割は、市場リーダーにしか果たせないと感じています。自社が市場において圧倒的に成長できない中で、市場変革は実現できない。勝ち抜いてトップになってこそ、市場を変えるチャレンジができると考えます。そのプロセスの中で、フェズを選択してくれた人財が市場リーダーとして活躍できる人財に変わり、(社内外を問わず)沢山のチャレンジが実現する世界を創りたい。業界を変えていく私たち自身が、ワクワクできる。まずはそこからですね。